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東日本大震災から2年たちました、原発事故からもうすぐ2年、あの日、原子炉の建屋が

吹っ飛んだ映像を見た時には、もしかすると故郷を捨てることになるかもしれない、

と思ったものでした、住まいは原発から半径約70キロ、これからさらに

避難勧告の半径が広がる可能性を考えると、ここも覚悟しといたほうがいいかもな、

と政治家や保安院のテンパった会見を見ながら思ったものです。3キロほど先の沿岸では、

もっと厳しくて悲しい現実を突きつけられ、途方に暮れている人達もたくさんいましたから、

他人事ではなかったし、この場所も絶対安全だとは思えませんでした。

2年が経って、今もこうして変わらない生活を送っていられることはやはり

幸運といっていいのでしょう。

そして今、復興への機運が盛り上がっているところですが、本当のところは

どうなんでしょうか。


ここから私見になります。

震災が起きてから当社の仕事は主に地震、津波の災害地を中心とした測量をしているのですが、

元請けからの依頼は「~災害復旧工事」という工事名で受注をいただきます、

つまり復旧のために測量をして、それが済んでからはじめて復旧工事ににとりかかるわけです、

ここんとこが地震や津波でこんなにやられて、元通りにしないといろいろ問題があるから

現場の状況をデータ化して図面に起こして見せてくれ、と、簡単にいうとこういうことです。

そういった現場はガレキが取り除かれただけの危険な場所も多くて、みんな難儀したものでした。

そんな仕事に携わっていると、「復興」という言葉がひどく上滑りした言葉に思えてくるのですね、

特に沿岸部は復旧さえしていないところがたくさんあるのです、思ってる以上にです。

石巻では今だに電気も水道も通っていない家に住んでいる被災者もいます。


・・長くなりそうなのでやめときますが、で、なにが言いたいのかというと

「復興」という言葉がメディアで踊っていることに安堵する人が増えることによって、

支援の輪が小さくなったり、風化が早まるんじゃないか、と思うのですね、

「あ、東北はもう復興してるんだ」「もう自力で復興できるだろう」とかね。

言葉までスピーディになったら、人間の記憶はそれ以上のスピードで薄れていきます、

被災した当事者が復興という言葉を使うことになんら疑義は感じませんが、

メディアにはもっと過酷で困難な現状も広く伝えることも必要なんじゃないかと思います。

忘れられない大災害には違いありませんが、薄れないことがこれから大事になってくるのでは

ないかと、献杯で少し酔ったアタマで思う3月11日でした。 

合掌
















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2013.03.11 / Top↑